鬱文学


フォロワーに言われたこの言葉が気に入っているのでタイトルにしたけどこの文章は全く文学ではないです


「悪いことをしても可愛ければそれだけで許される」という思考回路が私の頭の根底にあるため、たまに会話の中でポロッと言ってしまい場を白けさせてしまうことが多々ある。

毎回やっちまったな〜て自己嫌悪に陥るけど私は思ったことをぽろっと口に出す性格だし思ったこともすぐ顔に出るので毎回自己嫌悪に陥り死ぬしかないな〜と思うが何度も繰り返してしまう。直せ


先日の某炎上があったが、それでもTwitterには「#🌰(名前は伏せています)かわいい」というタグを使う人を何度か見かける。

報道された写真に引用RTで「こんな瞬間でも🌰はかわいい」とツイートをしている人も見かけた。

このグループは何度も炎上していたが圧倒的な世界観と顔面偏差値で何度も炎の中をくぐり抜けていた。今日も生き残っている。素直にすごいと思う。オタクのHP0だけど。


世界観を生み出すためにはまず顔が必要だと思っている。

どんなに周りのものが綺麗でも、その中に佇む人が醜かったら世界観も一気にぶち壊されてしまう。

ルッキズムという言葉が大嫌いなのに私もその言葉を信仰しているうちの一人で、その言葉に永遠に呪われている。


ルッキズムの言葉に苛まれていない人の思考回路が知りたいが、私は苛まれている側の人間だから永遠に理解できないのだ。

逆にルッキズムの言葉に苛まれず、「顔だけ良ければいいと思ってるの?」「顔だけでは生きていけないよ」と言い放つ人間たちも私たちの思考回路を理解できないのだ。

理解できていないくせに私たちを完全悪とし、土足で私たちの心を踏み荒らして人間性を否定してくるのだ。

恐らく相手はここまで考えていない。多分何も考えていないか、私たちを心配して言っているかのどちらかなのである。被害妄想だ。


💗(また名前を伏せました)が「ルッキズムが才能より偉い世界がとても嫌い」とインスタライブで言っていたことがある。

仮に私に何かの才能があっても、「顔だけ良くて生きている」人間には永遠に勝てないのだ。

昨今可愛さを武器に好き放題をし、しかし可愛さ故に咎められない人間に制裁を与える、とのような漫画が流行っている。かわいいを武器に戦う人間は終盤の圧倒的な悪事を暴かれない限り罰が下されることはないのだ。余程のことをしない限りかわいいは最強の武器なのである。その武器をそこまで磨き上げる過程などを考えると心から尊敬はする。

しかし私の手元にある武器は元々が最弱のため、どんなに磨いても平均以下である。私が可愛い人間を尊敬して真似して磨いたとしてもその子のように強くなれるわけではない。

整形という武器の改造を施し多少マシになりはしたが、それでも私の武器は平均以下なのである。

加工という手を使って武器が強くなっているため画面の中で生きていたいと思う。


別に私はかわいい子がかわいいを武器に戦っていることに嫌悪感を感じているわけではない。

かわいいを磨いて、そのキラキラした武器で生き抜いている女の子はとても素敵だと思う。この思考回路もルッキズム云々になるのだろうか。ルッキズムに囚われているのにその言葉の意味がよくわからなくなっている。メンタルが死んでいるときに文章を書くと途中から何が何だかわからなくなって全部どうでも良くなるので良いことです。


小学生の頃を思い出すと顔のかわいい子は常に周りに認められ、必要とされ、愛されていた。

逆にかわいい顔を持っていない人はどんなに勉強ができていても、体育が得意でも、何かしらの才能があってもその人たちの足元には及ばないしそもそも顔も才能もない私はクラスのカースト最下位だった。

嫌いなあだ名で呼ばれても言い返さなければ相手もつまらなくなってやめるよ、とクラスの人に助言されて一度怒りも悲しみも表さずに無視していたことがある。

反応がないことを良いことにあだ名で呼ぶ人が増えたことを覚えている。助言をしたクラスメイトは私を助けるも相手にやめたほうがいいよ、と言うこともなく見ないふりをしていた。あの子もかわいい子だった。私が負った傷などその可愛さに負け、私が泣き出し教師に理由を問い詰められその話をしたが私のせいになった。言ってくる人間でもなく、不細工な顔で生きている私が100%悪かったのだ。結局誰もそのあだ名を止める人はいず、中学の後半皆がそんな遊びに飽きた頃にやっとなくなった。

別に私の小学生時代の全てがこれだったわけではないので楽しい思い出もある。しかし嫌な思い出というものは強いため、当時を思い返そうとすると真っ先にそのことを思い出す。今も仲の良い友人たちはそんなあだ名で呼んだこともないし、たくさん楽しい思い出を与えてくれていたのに大変申し訳ない話なのである。

話が戻るが、当時の出来事が私がルッキズムに囚われるようになった原因のひとつだろうと思う。

しかしルッキズムという言葉に対する意見を知りたい人にとってこの話は特に興味のないものだから申し訳なくなってきた 死のう どうでも良くなってきたメンタルがまた悪化している 自分語りは悪です


当時からルッキズムは呪いで、大抵の人は無意識にその言葉に囚われていたと思う。

昨今その思想の広まりが勢いを強めたと思うが、このまま行くと私のような人間はどのように生きていけばいいんだろうと思う。生きていく場所なんてどこにもないんだろう。まだマシな世界のうちに死にたいな〜


結末なんて何も出せていないし何が言いたかったのかもわからずにただ己のルッキズムの原因を述べただけのようになったがこの話は終わりにしようと思う。

ごめんなさい。